member image

ヴィム・ヨンク

専門分野:

ユースアカデミーマネージメント、タレント育成、コーチング、フットボールスタイルの構築、トレーニングメソッド構築、(個人)スキルトレーニング、国際プロジェクト


言語:

オランダ語、英語


経歴:

ヴィムはオランダ代表として49キャップを持つ元プロ選手で、前職はAFCアヤックス・アムステルダムのアカデミー部門責任者である。

ゲームメイクとパスサッカーの達人であるヴィムは、優れた技術と試合を読む力、そして正確なパスと強烈なシュートで知られた選手だった。1986年に FCフォレンダムでキャリアをスタートさせたが、すぐにヨハン・クライフの目に留まりアヤックスへ入団。同クラブの一員としてエールディビジ、国内カップ戦、1992年のUEFAカップ等の制覇に貢献した。

その後ヴィムはインテル・ミラノに移籍し、1994年のUEFAカップ決勝で試合を決める得点を挙げクラブに国際タイトルをもたらす。続くPSVアイントホーフェンでもエールディビジ、国内カップ戦、3度のスーパーカップなど数々のタイトルを獲得した。

オランダ代表としては1992年のUEFA欧州選手権(EURO)および1994年と1998年の2度のFIFAワールドカップに出場(1998年フランス大会はベスト4)。その後シェフィールド・ウェンズデーFCでのプレーを最後に、2000年に怪我のため引退した。

2004年、FCフォレンダムのテクニカルダイレクターとしてフットボール界に復帰。2008年には個人スキルアップのコーチとしてアヤックス・アムステルダムに戻った。そこでヴィムは、モダンフットボールにおける課題と改善の余地を見出し、アヤックスのアカデミーのクオリティを向上させ、理念的改革を施す必要があるという確信を得る。そこで彼は2010年にヨハン・クライフ、ルーベン・ヨンキントと共に“クライフ・プラン”を発案。このプランの柱は、タレント育成において個の才能を伸ばすことを軸としてアヤックスのユースアカデミーをリフォームすることであった。

“ベルベット・レボリューション”と呼ばれた激動の時期を経て、クラブは2011年にクライフ・プランを採用。ヴィムはアカデミー部門責任者に就くと同時に、クラブのフットボールに関する意思決定機関として新たに設立されたテクニカル・ハートのメンバーとなった。

2012年から2015年12月にかけてヴィムはクライフ・プランを実践し、アカデミーとクラブ全体を改革しようと努めた。特にアカデミーの組織およびそのカルチャーについては、タレント育成部門の責任者であるルーベン・ヨンキントと共に、選手とその成長をアカデミーのあらゆるプロセスの中心に据える新たなフィロソフィを導入することによって根本的な改革を図った。

加えて現場の指導者としてもアヤックスU19チームを率いて国内制覇を果たし、またUEFAユースリーグでスペクタクルな攻撃的フットボールを披露して大きなインパクトを与えるなど、成果を残した。

2015年12月、ヨハン・クライフ、ヴィム・ヨンクおよびその部下達は、クライフ・プランがクラブ全体に徹底・実践されているとは言い難い状況にあることについて続けてきたクラブ上層部との協議が決裂したため、アヤックスを去ることになった。

指導者としてのヴィムはUEFAプロライセンス保持者である。